また道外で香ばしい話がでてますな。
当の本人も納得しているようで終話にむかいつつある中敢えて
炎上を試みる暇な通りすがりもいて、今回の問題に関係なくマジックプレイヤー
というのはなんて主張性の強い生物なのでしょう。
無論私も同様なので書かせてもらいます。えーえー。
今回のシチュエーションはTCG全般に起きる事象で特に珍しい話では
ありません。もちろん自分が初心者だったときもデッキについていろいろ
聞いてくる人もいました。
まずお題に上がっていた「相手に構成上の矛盾にどうやって気づかせてあげれるだろうか?」についてですが
今回の場合双方には指摘したり指摘されたりしなければならない義務はありません。言い方は悪くなるかもしれませんが指摘する側の「おせっかい」にあたるわけです。
道民の方々にも言ってありますが指摘してあげるという考えはやめて
指摘させてもらうという考えを持つ必要があります。
まず指摘したい相手と軽度のコミュニケーションをとり、ついでにデッキの中身を
拝借させてもらう。問題点の提示は最後にさらっと言うのがいいのではないでしょうか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
例1
友人
「おつかれー。を、Aさん今日それででてんの?」
A
「そりゃそうよ。」
友人
「面白そうなデッキだなー。ちょっと見せてもらってもええかー?」
A
「感謝せーよー。」
友人
「感謝ー。」
デッキ見る
友人
「なるほどねー、俗に言うゼガーナバントってやつかー」
A
「そりゃそうよ」
友人
「おっ、至高の評決2枚入ってる。これオシャレ枠っすか?」
A
「そりゃそうよ。ビートうざいねん。」
友人
「そうなんだー、これってラスうつときマナクリも死ぬことあると思うけど特に問題ない感じ?」
A
「そりゃそうよ」
友人
「これってラスじゃなくて拘留の宝球とかだとビートに間に合わないもんなん?」
A
「試してないからわからん。」
以下略
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
巡礼者とラスの矛盾について指摘しやすい場を自分で作る事が重要だったのでは
ないかと考えています。
その場にいないので確認できませんが、日記を見た限りだと
「デッキをチラっと見て異質な部分を指摘する→問題ないと言われて終話」
これって正直コミュニケーションとしては少し不十分な気がします。
指摘する側がきちんとコミュニケーションをとって相手に打ち解けさせるように
する。これが紳士的なおせっかいというものかとおもっちょります。
もう一つ気がかりなのはお題である
「相手に構成上の矛盾にどうやって気づかせてあげれるだろうか?」
についてですが、このお題を記載した段階で至高の評決と巡礼者の共存は
よくないものと自分の中で確立していたものなのでしょうか?
お題を記載の後に、自身の見解と意見を求む日記を書いていることに
疑問を抱きました。これを見ると「自身の見解をあたかも共通見解かのように相手に伝えようとしている」と伺えます。
構成上の矛盾というのが共通見解の域に達していない恐れがあるのであれば
それを相手に正しい事が前提で伝えるのはいい事とは思えません。間違った情報を相手に教えてしまうかもしれないから。自身の見解が正しいとは限りません。
事実この構成上の矛盾について肯定派の意見もちらほらと伺えました。
僕は否定派ではありますが、肯定派の意見を見て正しいと思える文も見受けられました。この時点で構成上の矛盾についてはまだ共通見解という枠の中で結論が出ていないことになります。
相手に気づかせるという文は相手が間違った考えを持っている事が前提に見えてしまうのではないかと思います。お題を実行するのであれば充分な裏づけが必要です。
最後になりますが、指摘する側に悪気があったようには思えません。無論
悪気がなければ無罪とはいえませんがさほど大きな問題にもなってませんし、
改善点を本人の中で見出すことができればそれでいいのではないかと思います。
可能であれば以後大会で会った時に謝罪の言葉が一言でもあれば充分ではないでしょうか?簡単なようでマジックプレイヤーに忘れがちな行為でとても重要なことです。
皆さんも相手に指摘したりアドバイスするときはあくまで低姿勢な対応を
お願いしたいと存じます。実施していただけるとマジック界は少し平和になります。
ああ仕事だるい。
当の本人も納得しているようで終話にむかいつつある中敢えて
炎上を試みる暇な通りすがりもいて、今回の問題に関係なくマジックプレイヤー
というのはなんて主張性の強い生物なのでしょう。
無論私も同様なので書かせてもらいます。えーえー。
今回のシチュエーションはTCG全般に起きる事象で特に珍しい話では
ありません。もちろん自分が初心者だったときもデッキについていろいろ
聞いてくる人もいました。
まずお題に上がっていた「相手に構成上の矛盾にどうやって気づかせてあげれるだろうか?」についてですが
今回の場合双方には指摘したり指摘されたりしなければならない義務はありません。言い方は悪くなるかもしれませんが指摘する側の「おせっかい」にあたるわけです。
道民の方々にも言ってありますが指摘してあげるという考えはやめて
指摘させてもらうという考えを持つ必要があります。
まず指摘したい相手と軽度のコミュニケーションをとり、ついでにデッキの中身を
拝借させてもらう。問題点の提示は最後にさらっと言うのがいいのではないでしょうか?
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例1
友人
「おつかれー。を、Aさん今日それででてんの?」
A
「そりゃそうよ。」
友人
「面白そうなデッキだなー。ちょっと見せてもらってもええかー?」
A
「感謝せーよー。」
友人
「感謝ー。」
デッキ見る
友人
「なるほどねー、俗に言うゼガーナバントってやつかー」
A
「そりゃそうよ」
友人
「おっ、至高の評決2枚入ってる。これオシャレ枠っすか?」
A
「そりゃそうよ。ビートうざいねん。」
友人
「そうなんだー、これってラスうつときマナクリも死ぬことあると思うけど特に問題ない感じ?」
A
「そりゃそうよ」
友人
「これってラスじゃなくて拘留の宝球とかだとビートに間に合わないもんなん?」
A
「試してないからわからん。」
以下略
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巡礼者とラスの矛盾について指摘しやすい場を自分で作る事が重要だったのでは
ないかと考えています。
その場にいないので確認できませんが、日記を見た限りだと
「デッキをチラっと見て異質な部分を指摘する→問題ないと言われて終話」
これって正直コミュニケーションとしては少し不十分な気がします。
指摘する側がきちんとコミュニケーションをとって相手に打ち解けさせるように
する。これが紳士的なおせっかいというものかとおもっちょります。
もう一つ気がかりなのはお題である
「相手に構成上の矛盾にどうやって気づかせてあげれるだろうか?」
についてですが、このお題を記載した段階で至高の評決と巡礼者の共存は
よくないものと自分の中で確立していたものなのでしょうか?
お題を記載の後に、自身の見解と意見を求む日記を書いていることに
疑問を抱きました。これを見ると「自身の見解をあたかも共通見解かのように相手に伝えようとしている」と伺えます。
構成上の矛盾というのが共通見解の域に達していない恐れがあるのであれば
それを相手に正しい事が前提で伝えるのはいい事とは思えません。間違った情報を相手に教えてしまうかもしれないから。自身の見解が正しいとは限りません。
事実この構成上の矛盾について肯定派の意見もちらほらと伺えました。
僕は否定派ではありますが、肯定派の意見を見て正しいと思える文も見受けられました。この時点で構成上の矛盾についてはまだ共通見解という枠の中で結論が出ていないことになります。
相手に気づかせるという文は相手が間違った考えを持っている事が前提に見えてしまうのではないかと思います。お題を実行するのであれば充分な裏づけが必要です。
最後になりますが、指摘する側に悪気があったようには思えません。無論
悪気がなければ無罪とはいえませんがさほど大きな問題にもなってませんし、
改善点を本人の中で見出すことができればそれでいいのではないかと思います。
可能であれば以後大会で会った時に謝罪の言葉が一言でもあれば充分ではないでしょうか?簡単なようでマジックプレイヤーに忘れがちな行為でとても重要なことです。
皆さんも相手に指摘したりアドバイスするときはあくまで低姿勢な対応を
お願いしたいと存じます。実施していただけるとマジック界は少し平和になります。
ああ仕事だるい。
コメント
リアルで会うときとかも、やはりデッキについてベテランの人に聞くときは少し身構えてしまいます。
やっぱりお互いに慮ることは大事ですよね。
結果うまくいってなくても、とりあえずその人は色々考えて組んだデッキなのでしょうし、初心者には常識や定石などわからないことがたくさんです。
やりなれてる方でも全部を知っている人はいないはずです。
遠巻きに見ていた話ですが、もっと平和に楽しめたらいいのにと思っていました。
かく言う自分は評決賛成派なのでなおさらビクビクしてました。
「○○って試したことある?」くらいからのほうがいいですよね。
ちなみに、個人的には巡礼者(マナ生物)と評決(全体除去)は全然ディスシナジーには感じません。ランパン系と比べると除去の分マナ加速の確実性に欠けますが、後半引いてもたとえ1点でもクロックになったりブロッカーになる点でいい選択だと思います。